図書室「新聞」 1987年

『B-Young Age』1987年1月1日(木)付 13面

広告 トミー またまた、夢と笑顔のある年へ。

新年号の特集第2部に掲載されたトミー(現・タカラトミー)の広告。1987年もセールス拡大のお役に立つ商品をお届けすることを小売・問屋に向けてアピールしている。

さてこの広告、眼鏡をかけた男性(当時、バンダイがファミコン名人として売り出していた橋本名人)が「WAH!」と驚いているが、これは折りたたんだ状態で空中に放り投げるとワッ!とビックリするほどものすごい音を発して大きく広がる、その名も「わっ!」という玩具(480円)。こちらがメインとなっている。

ついでに、『痛快なりゆきゲーム 風雲!たけし城』(3800円、単1電池1個使用、入数6)も宣伝。これはたけし城をモチーフにした電動玩具である。「ボールを上手にコントロールしながら行く手の障害をかわして天守閣にたどりつけばゴールイン。やればやるほどスリルと興奮のとりこになってしまいそう。」とのことで、家族で楽しむお正月ゲームとして、トミーが自信を持ってご推薦!

『B-Young Age』1987年2月2日(月)付 4面

広告 トミー「新しい年、1987年。ウォーターアイテムのバリエーションがよりワイドになって、ラインはますます充実。トミーは今年もグングン飛ばします。」

トミーが発売するウォーター玩具を宣伝する、流通・小売店向け全面広告。その中に「風雲水鉄砲Z-1,X-2」もデカデカと取り上げられている。

価格は各3500円、電池は単2×4個,単3×2個必要。入数は各12。

銃は先細(Z-1)、先丸(X-2)の2タイプ。タンクは1300cc。今までにない大容量ゆえに長時間給水の必要もなく飛距離も6m以上をほこる。タンクには強力モータポンプ内臓。

ダイヤルとスイッチで変化するレーザーサウンドとライトはあそびの興奮度がいやが上にも盛り上げる、テレビ番組『風雲!たけし城』の水鉄砲は心強いセールストークになる、とアピールしている。

宣伝強化のため、3月からは全国ネットでTV・CFを放映するという

『B-Young Age』1987年2月9日(月)付 2面

「ザ・チャレンジ'87」トミー、春の新商品発表会 ゾイド新製品5点(3月) 2月に話題の「風雲水鉄砲」

1月29,30日、トミー本社で行われた春の新製品発表会。「ザ・チャレンジ'87」をスローガンに、定番商品や話題性のある商品で活気のある発表会となった。3月には男児向けに「ゾイド」新製品5点を投入するほか、話題性豊かな「風雲水鉄砲」を2月に発売する。

「風雲水鉄砲」(X-2,Z-1、各3500円)は3月から番組提供をスタートさせてムードを盛り上げるほか、2月6日放送分から番組内で実際の商品を使ってもらい、毎週プレゼントを実施するとのこと。

「たけしが欠場中とはいえ相変わらず人気が高く、同社の商品と同じものが番組でも使われるため、反則面では大きなプラスになりそうだ」と記者は予測している

第33回

『B-Young Age』1987年3月2日(月)付 4-5面

特集 見直される安定商品 バストイ、砂、水・あそび 各社とも強力布陣 平月の売上げ貢献で今、脚光

ファミコン人気に押されブーム商品は売り上げダウン。お次は安定商品を、ということで玩具メーカーが力を入れ始めているのがお風呂や砂遊び、水遊びに使うオモチャ。流通サイドから価値が見直されてきたこのジャンルを特集。新市場を生んでいるのがウォーターガンで、トミーからリリースされたたけし城の水鉄砲も取り上げられている。

商品CMはたけし城を使って撮影されており、迫力と臨場感で"風雲"を巻き起こしそうだと記者は予測。先立って九州地区で先行販売が行われ、1月末~2月中旬まで、沖縄ダイエーで30個、福岡県久留米市のぴーこっくで20個売上げ、トミーは「手応えが十分あった」と喜んだ。「2月という難しい時期で、しかも3500円というプライスでありながら、の数字。おまけに両店とも店頭実演はしていない。所期の成果はあがったので、販促を展開したい」と宣伝課長の松本禎之氏は語る。

先行販売に携わった店からは「シーズントイなので水ぬるむ3、4月になれば、もっと売れると期待している」「このウォーターガンは春休み商戦の柱にしたい」と人気は上々。購入客の80%は指名買いだったとか。こうした反響に自信を深め、トミーは番組でのプレゼントをはじめとするPRを強化、当面30万個の販売を目指している

『朝日新聞』1987年3月24日(火)付 14版27面(社会面)

たけし本人と切り離し 「軍団」だけTV復帰へ

フライデー編集部襲撃事件で起訴猶予処分となったたけし軍団11人が、3月27日(金)収録のたけし城(※4月3日放送の第41回「風雲!たけし城スペシャル テレビ界初の大スペクタクル・各界勇士150人結集」)からテレビに復帰することになった。TBS側が軍団の所属する太田プロダクションに出演を要請し、同プロがこれに応じたもの。

TBSが軍団復帰に踏み切ったのは、11人が謹慎を続け、3月2日に起訴猶予となったことで、社会的な償いを果たし法的な権利も回復した、と判断。起訴されたたけしとは切り離して対応することにしたという

第41回

『B-Young Age』1987年3月30日(月)付 2面

「風雲水鉄砲」専用マト登場 売れ行き拍車か

発売後好調な売れ行きとなっている、トミー(現・タカラトミー)の「風雲水鉄砲」(3500円)。同社によると「射撃用の的を要望する声がたいへん多い」こともあり、4月7日から別売りで専用のマト(300円)を発売することが決まった。

マトの直径は80mm。頭に付けるための伸縮ベルト付きで、赤と青の2色があり、替え紙10枚が付属。

同社の松本禎之課長は「いわば、金魚すくいの場合と同じように、水が当たって紙が破れたら、またすぐ貼ってセットすればよい。この的が登場することによって、本体の風雲水鉄砲も売れ行きに拍車がかかると思う」と話している

『B-Young Age』1987年4月6日(月)付 2面

「風雲水鉄砲Jr」新発売へ トミー、4月25日予定

好評の「風雲水鉄砲」(3500円)のジュニア版として、「風雲水鉄砲Jr」(1200円)の発売を伝えるベタ記事。

手動式で330cc容量のポシェットタイプ、7m以上飛ぶ性能を持ち、銃とタンクはセパレート。おまけに番組に登場しているのとそっくりなオレンジカラーの的も付属。ベルトで頭部に着けて遊ぶことができる

『B-Young Age』1987年4月13日(月)付 1面

広告

トミー(現・タカラトミー)から発売される「風雲!たけし城 WATER GUN 風雲水鉄砲Jr.」とマトの宣伝広告。読者層が玩具店・おもちゃ売り場向けということもあり、「ここ一発! 売上アップの飛道具。」というキャッチコピーが添えられている。

「風雲水鉄砲Jr.」は1200円。入数は24(レッド24・ホワイト24)。小さいけれど飛距離は7m以上。おまけにポシェットタイプ。タンク容量は330ccで、4月下旬発売予定。

「風雲たけし城の的」は300円、カラーはレッド・ブルー。入数は180(2色×18)×5BOX。ベルトで頭にセット。的はワンタッチではさめてカンタン。4月上旬発売予定

『B-Young Age』1987年4月20日(月)付 2面

トミー「風雲水鉄砲」プレゼントに15万通もの応募

3月放送のたけし城でトミーの「風雲水鉄砲」を300人にプレゼント、と告知したところ、なんと15万通もの応募ハガキが集まり、あまりの高反響にテレビ局側を慌てさせるハプニングがあったという。

その抽選会の模様は4月10日放送の「春休み親子大会」で放送されたが、番組プロデューサーが子どもからの応募ハガキ(番組に対する感想文)を読みふけってしまい、抽選がなかなか進まなかったというシーンもあったとか。

なお、主役のたけしは起訴され番組を降ろされ(※謹慎中)ていることから、玩具販売店の一部にも番組の今後に懸念する向きがある。しかしTBSは「現在も18%の高視聴率を誇る同番組を中止する予定はいっさいなく、これからもずっと継続していく」と語り、これを受けてトミーも「今後とも安心して風雲水鉄砲の拡販を!」と呼びかけている

第42回

『B-Young Age』1987年5月11日(月)付 1面

人気爆発?大キャンペーン 「風雲水鉄砲」五千人にプレゼント

話題が上昇しているトミーのウォーターガン「風雲水鉄砲Z-1」または「同X-II」を合計5000人にプレゼントするキャンペーンが5月1日からスタートした。9月30日までの5カ月間、毎月3回抽選。赤城乳業(埼玉県深谷市)の「アイス鉄砲」「ラムネバー」(各50円)に印刷されている応募券4枚1口で応募できる。

同社によると、新製品の発売キャンペーンにふさわしいプレミアム用品を探していたところ、夏季キャンペーンにぴったりのイメージなのが「風雲水鉄砲」だったとか。トミーの協力で5000個を調達した同社はキャンペーンチラシを製作し取扱販売店に配布。アイスの拡販というより、水鉄砲の宣伝がメインになってしまっている。

1人で何口でも応募できるため、全国の子どもたちの間でちょっとした話題になりそうだと、同紙は予想している

『毎日新聞』1987年7月10日(金)付 14版26面(社会面)

たけし、TVにも復帰 局側「謹慎、半年超えた」

フライデー事件で懲役6年、執行猶予2年の有罪判決を受けたタレント、ビートたけし。7月9日(木)、TBSと日本テレビは彼の復帰を決めた。

すでにニッポン放送の『オールナイトニッポン』で芸能活動を再開しているが、テレビのレギュラー番組にも顔を出し完全復帰する。復帰第一作は12日(日)の日本テレビ系『スーパーJOCKEY』。TBSは10日(金)のたけし城収録のため出演を要請した。また18日(土)のフジテレビ系『一億人のテレビ夢工場』にもゲスト出演を予定。

この件について、TBSの藤原亙編成局長は「事件直後からの謹慎状態が半年を超え、社会に対する償いを果たしていることは、判決文も指摘している」と述べた

第55回

『朝日新聞』1987年7月10日(金)付 14版26面(第2社会面)

たけしTVへ復帰

こちらもたけしのテレビ界復帰を伝える記事。

日本テレビは12日(日)午後1時からの生放送の『スーパーJOCKEY』から復帰させ、また『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』も13日(月)収録・19日(日)放送分から再開。以後事件前と同じように日曜日のレギュラー番組として放送すると発表。

TBSも10日収録のたけし城、11日(土)収録の「世界まるごとHOWマッチ」への出演をたけしに要請。放送は8月以降になるという

第55回

『毎日新聞』1987年7月11日(土)付 14版22面(社会面)

「ごめんなさい」たけし"拷問"姿でTV初収録 「これだけイジメられているというフリを……」

芸能活動を再開したたけしは、TBS緑山スタジオでたけし城収録に臨んだ。10日(金)午後4時過ぎ、彼は江戸時代の罪人の格好でオープンセットに姿を現した。そしてハリボテの石をひざの上に置かれるなど"拷問"スタイルでテレビ復帰を果たした。

収録の合間に記者会見したたけしは「何か言うとすぐしかられるから、これだけいじめられているんだというふりをした」とギャグを飛ばす一方、「仕事を休んでいても、ゴルフなどのスケジュールがびっしり入らないと不安だった。自分の年齢とファンの熱狂ぶりとの間にギャップを感じた」と日頃の毒舌っぷりに似合わぬしんみりした表情を見せていたという

第55回

『朝日新聞』1987年8月15日(土)付 14版22面(第2社会面)

「たけし城」に抗議 右翼団体騒音流す TBSスタジオ周辺

8月14日(金)午前10時ごろから、緑山スタジオ周辺住民から「右翼団体の車がスピーカーで流している演説や歌がうるさい」という苦情が、緑署やTBS本社に相次いだ。

同署やTBSによると、14日はたけし城の収録日にあたり、緑山スタジオの屋外セットが使用されていた。執行猶予中のたけしが出演することに対し、都内の右翼団体21人がマイクロバス3台で乗りつけ、スタジオ周辺で約7時間にわたって抗議したらしい。なお、この日は「中高生大会」(※9月18日放送の第60回「第一回全国中高生大会」)が開かれたが、たけし本人は出演していなかったとのこと。

この右翼団体は7月31日(金)の収録日にも約30分間、同様の行動をとっていたという

第60回

『サンケイスポーツ』昭和62年(1987年)11月5日(木)付 7版 4面

「たけし城」にアニマル 芸能プロと1年契約 タレントでも吠えるかナ

阪急を退団したアニマル・レスリー投手のタレント転向が決定。かねてからタレント事務所「ミヤ・エンタープライズ」(東京都港区南青山、宮崎重夫社長)に芸能界進出のお誘いをうけていたが、このほど来年(1988年)10月31日までの1年契約を正式にかわした。出演が決定しているのはたけし城で、来週はじめ(※実際には20日)から録画撮りを開始。12月下旬には"タレント"アニマルがブラウン管にお目見えすることになる。

阪急を解雇された後も他球団からの誘いを待っていた。年齢的にまだ若い(※当時29歳)こともあり「野球をあきらめきれない」という強い思いがあったが、結局いい話はこなかった。タレント転向を決意したのは次善の策で、考え抜いた挙句の結論だったそうだ。

宮崎社長から誘いを受けたのは夏場。兵庫県神戸市のマンションを訪ねてきて「クビになったら、いつでも来なさい」と持ちかけられていた。初めは態度を保留していたが、その後も度重なる交渉でついに折れた。

「ボク、ニッポン大好き。将来はサンフランシスコ(故郷)で日本人相手のファミリー・レストランを開くのが夢。そのためには、日本語をもっと勉強しないといけないし、和食の作り方も覚えなければ…。あと1年はニッポンで、いろんな勉強をするつもりよ」とアニマルは語る。

宮崎社長の下には、すでに何件もの出演依頼が来ているそうで、フジテレビ系『笑っていいとも』『オレたちひょうきん族』や『プロ野球ニュース』のシーズンオフ企画への出演を考えている。「阪急で、もらっていた分と同じ程度を出す」とのことで、約2000万円の年収は保証されているという

『毎日新聞』1987年11月6日(金)付 14版26面(社会面)

"演技"買われて‥‥ アニマル、TV界へ

このシーズンで阪急ブレーブスを退団したアニマル・レスリー投手が、芸能界入りすることを報じた記事。体重100キロの巨体と派手なアクションが注目され、芸能プロのミヤエンタープライズに所属。初仕事は13日(金)収録のたけし城守備隊役(※実際の収録参加日は20日に変更)。

彼の初出演は12月18日放送の第72回になります

第72回

『内外タイムス』1987年11月6日(金)付(5日発行) 2面

野獣アニマル たけし軍へ"トレード" 阪急お払い箱に"拾う神" マウンド上のパフォーマンスに関係者は注目…芸能界向きだ!!

阪急ブレーブスをお払い箱になってしまったアニマル・レスリー。彼のたけし軍団入りを報じた記事である。ただし、この時点ではまだたけし城での起用は明かされていなかった。

今季(1987年)は十分な活躍ができず、あえなく阪急をクビになり「また3Aからやり直すさ」と大きな肩を落として米国へ帰国していたが、以前から一野球人にしておくにはもったいないとタレント性を高く買っていたたけしが、ここへきて手を差し伸べることで話が急展開。まず「実力抜群」と言われるたけし軍団の軟式野球チーム入り受諾への意向を明らかにした。

今のところはたけしの所属する太田プロダクションの財津総務部長も「アニマルさんがタレント業をやりたいという話は聞いてますが、うちで仕事をするとは正式に決めてません」とのことだが、「あのキャラクターなら、ご本人が希望すれば、その段階で十分検討させていただく」と前向きな姿勢。

たけしも「プロレスのほうは無理としても、あのけっこうなアクションを"軟式"でやったら実に面白い」と、テレビ朝日で放送していた『スポーツ大将』での野球メンバー起用構想を言明。

シーズン中からレコーディングやTV出演などもやって、タレント点心の伏線となる芸能活動も行っていたアニマル。この時期はたけしも自らの離婚問題などで暗いカゲを落としていただけに、「これも明るい話題づくりとしては結構なこと」と関係者も注目している…とのこと

『報知新聞』昭和62年(1987年)11月6日(金)付 7版 19面

前阪急のアニマルがタレントになる 「たけし城」でデビュー

阪急を今季限りで退団したアニマル・レスリー投手がタレントに変身、たけし城でデビューすることになった。

アニマルは4日に来日してプロダクション「ミヤ・エンタープライズ」と契約。たけし城ではストロング金剛、城みちるらと勝ち抜きゲームのディフェンス役としてレギュラー出演する。この時点での発表では、13日に初収録、12月初旬からお茶の間に登場するとのことだった

『東京中日スポーツ』昭和62年(1987年)11月7日(土)付 5版 15面

アニマル、たけし城に殴り込み

マウンドでの派手な"パフォーマンス"で人気のあった阪急のアニマル・レスリー投手。今季限りで退団するが、その演技力? を生かして芸能界入りが決まり、10日に東京・赤坂のTBSで発表される。

アニマルはいったん米国に帰り、4日に来日して「MIYAエンタープライズ」と契約を結んだ。この時点では13日収録のたけし城が初仕事とのことだった(※実際は10日収録のTBS正月特番『笑いと涙の謹賀新年』が初仕事)

『スポーツニッポン』昭和62年(1987年)11月11日(水)付 11版 19面

アニマル、たけしと対面 「ぼくも早くああなりたい」

芸能界に転身することになったアニマルが10日午後、東京・赤坂のTBSで会見。「ベリー・エキサイティング」と心境を語った。

「芸能界に入ったのは大好きな日本に残るため」、野球への未練は「アメリカからいくつか誘いもあったが自分のなかには野球という言葉は消えた」とキッパリ。

この日は「笑いと涙の謹賀新年」(TBS正月特番)のリハーサルと収録でたけしと初対面。「自分の才能をフルに発揮し、たくさんの人を楽しませるエネルギーにあふれた人。早くボクもああなりたい」と意欲的だった

『日刊スポーツ』昭和62年(2011年)11月11日(水)付 7版21面

「たけし城」守るぜ 元阪急投手・アニマル 野球に未練サラサラ、すっかりタレント

野獣タレント・アニマルのたけし城レギュラー出演が決まり、10日に東京・赤坂のTBSで発表された。タレント転向にも自信満々で「もう野球には全く未練はない」とキッパリ語ったそうで、師と仰ぐたけしの門下生として第二の人生の出発に燃えていたとか。

会見では真っ白なスーツに身を包み登場。詰めかけた大勢のカメラマンの注文に応えて、レンズめがけて何回も右ストレートパンチを繰り出してポーズを作っていた。

当日は会見の前にTBS正月特番「笑いと涙の謹賀新年」の録画撮りに出演。ぬいぐるみを着ての愉快なボクシングに挑戦、2回戦まで勝ち進んだ。収録で初めて会ったたけしもそのユニークなキャラクターと誠実な人柄に惚れ込み、全面支援を約束。ただし、たけし軍団の正式なメンバーには入らない、とのこと。

たけし城の桂邦彦プロデューサーも「欧州、アラブ各国から番組の購入話が来ているので、内容もインタナショナル路線で外人を登場させたかった。たけし守備軍に入って各種ゲームに参加してもらう」と期待する。

このほか映画やドラマ、CMなどの出演も舞い込んでおり、2m・100kgの巨体もあってまさに"超大物新人タレント"感が出ているようだ。野球選手時代の推定年俸2400万円を上回るのは間違いなさそうだ、と記者は評している。

記事は「とにかくワーッ、でっけえなあって感じ」というたけしのコメントや、芸能界入りしたのは日本に長くいたいからと語るアニマルの一問一答も掲載

『サンケイスポーツ』昭和62年(1987年)11月11日(水)付 7版 23面

元阪急のパフォーマンス男 たけし食うぞ 風雲アニマル城 レギュラー出演決まる 殿にホレてんだ

ダイナミックなアクションで人気があった阪急のストッパー、アニマルがたけし城にレギュラー出演することになった。10日、東京・赤坂のTBSで記者会見した。ちょうどこの頃、現役引退で球界を騒がせていた巨人・江川卓投手よりもお先にタレント転向を宣言。プロ野球OBのタレントは多いが、外人は異例のことだとサンスポは報じている。

たけし城はシーズン中も味方の攻撃中にベンチ裏のテレビで見るほどの大ファンだったそうで、「たけしに会いたい」というのも芸能界入りを決心する大きな理由になったようだ。

この日は初仕事となる正月特番(笑いと涙の謹賀新年)の収録でたけしと初対面。「ファンをとりこにする人」とさらに魅力を感じたとか。たけしも「うわあ、デッカイ!」とアニマルを見上げ、頼もしい助っ人の加入を喜んでいた。桂邦彦プロデューサーは「彼のキャラクターに合った役を考えてます。本人はサムライ姿でやりたいと言ってますがね。まあ、サービス精神もあるし、タレントとしても面白いのでは…」と語る。『悪魔の館』などで、たびたびサムライ姿を見せていたのは本人の希望もあったようだ。

記者会見を収めた写真では、たけしと握手した他、カメラマンに向かって豪快にパンチ(のフリ)をするサービスも。カメラマンは「オッと、あぶねえ!」とビクビクしていたとか…。

また収録は20日、ブラウン管初登場は12月18日ということが告知された

『東京中日スポーツ』昭和62年(1987年)11月11日(水)付 15面

こちらアニマルも芸能界へ たけし軍団"風雲"レギュラー

巨人・江川卓投手をめぐる引退騒動・テレビ各局の出演争奪戦を報じた記事「白熱!!怪物クン(江川)争奪戦」のついでに、阪急を退団したアニマル・レスリーの芸能界入りを報じている。

10日、東京・赤坂のTBSでたけし軍団入りし、たけし城にレギュラー出演すると発表した。この日は正月番組「笑いと涙の謹賀新年」にゲスト出演し、すっかりタレントの雰囲気を身につけていたとか。

アニマルは「"たけし城"のレギュラー出演が決まり、興奮している。日本にいたかったのでうれしい」と語った。たけし城の収録参加は20日から、放送は12月18日から。またTBSでは来年(1988年)1月からアメリカの21世紀フォックスとアメリカ版たけし城を製作する予定で、これにもアニマルが出演すると伝えている。

『報知新聞』昭和62年(1987年)11月11日(水)付 7版 19面

アニマル 芸能界で吠える TBS「たけし城」に出演

「日本に残れてとてもハッピーだよ」。阪急を退団したアニマルが10日夜、東京・赤坂のTBSで記者会見し、タレント転向を正式発表した。「野球? そんな単語もう忘れちゃったよ」とジョークを飛ばしてご機嫌だったとか…。

身振り手振りを交えて上機嫌の彼は「アメリカでまた(野球を)やらないかという誘いもあったが、たけしのチームを選んでよかったと思っているよ」と語る。夢は故郷のサンフランシスコで日本人向けのファミリーレストランを、という夢を語り「今は週に10時間、家庭教師について日本語を勉強してるけど、仕事を始めれば生きた日本語を学べるからね」とのことで、タレント活動そのものよりそちらの目的の方が大きいのではないかと記者は見ている。

たけし城は西宮球場でチラチラ見ていたという。「たけしとは今日初めて会った。人生を100%楽しんでいる人という印象。忙しくて、交わした会話は"手がでけえなあ"っていうくらいだったよ」とのこと。

ミヤ・エンタープライズの宮崎重夫社長は「映画、ドラマ、CMなど、おかげさまでほかにもいろいろお話をいただいている。多彩な活動がやれる人とは思うが、とりあえずはあまり仕事の幅を広げず、日本語の勉強から」ということで、まずは日本語を覚えることが目標のようだ。

一方、日本テレビ・加藤光夫プロデューサー(『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』を担当)はスポーツ報知に寄せたコメントで、ストロング金剛や渡嘉敷勝男などたけし城に出ている元スポーツ選手と同じ程度のものでしょうと手厳しい。当時人気だった外国人タレントのオスマン・サンコンやケント・ギルバートと違って日本語ができないので、一時の話題にはなるかもしれないが一過性のもののような気がする。とにかく言葉の障害の問題があるので、あの独特のパフォーマンスやフレーズしか生かせない。今、テレビは通訳を使って番組を作るのを嫌がるため、あまり長続きしないように思うと評していた。

この他、記事ではアニマルへのインタビュー、「あらかると」と評してこれまでの経歴や逸話も紹介

『夕刊フジ』昭和62年(1987年)11月12日(金)付(11日発行) 29面

オレは"野獣タレント" アニマルが「たけし城」(TBS・毎日系)に出演

マウンド上のパフォーマンスで人気者だった元阪急のアニマル・レスリー(当時29歳)がタレントに転向。たけし城への出演が決まり、記者会見に臨んだ。

アニマルはすっかりご機嫌で「ゴメン」「ダイスキ」など覚えたての日本語を連発して愛嬌をふりまき、「日本に居続けることができてうれしい。野球にはもう未練もない。ベースボールという言葉すら忘れそうだ」とジョークまじりに語ったとか。

ただ、「芸能界に誘われたころは、正直野球に対して不満があった。自分の調子も良くなかったが、使われ方も気に入らなかった」と、クビにした古巣をチクリと刺す場面も…。

記事では、会見でたけしとアニマルが握手した写真も掲載されている

『東京スポーツ』昭和62年(1987年)11月13日(金)付 13面

アニマル たけし軍団で野球復帰

なにかとたけしとつながりが強い東スポ。当時はたけしと東スポで「たけしプロレス軍団」(TPG)なるプロレス団体旗揚げを目論んでいる時期だった。この日はアニマル・レスリーのTPG入りを断念し、たけし軍団野球チームに助っ人として加入したことを報じた。

アニマルは身長2メートル、体重100kgの巨体を生かしてレスラーとしてTPG入りすることを希望していた。たけしもその体格にホレ込んだが、結局TPG入りよりも「野球チームに入れたい」と野球チームにスカウトしたとのこと。

アニマルにホレ込んだのは桂邦彦プロデューサーも同じで、「一番のポイントはサービス精神おう盛なこと。そしてひとつの物事にひたむきにまじめに取り組むこと」と評価している

『スポーツニッポン』昭和62年(1987年)11月21日(土)付 11版 17面

"助っ人"今度はレギュラー入り 風雲!アニマル見参

たけし城で雄たけびを上げるアニマル。片手で稲川淳二を持ち上げ、怪力ぶりを発揮! 20日に緑山スタジオで行われた番組収録に初参加、選手時代と同じ爆笑パフォーマンスで"名タレント"ぶりを発揮したという。

たけし城はタレント転向後初のレギュラー出演とあってアニマルはヤル気満々。到着するなり広いオープンセットを一周した後、天守閣に駆け登りガッツポーズで「ウォーッ!!」と気勢を上げた。

収録冒頭で稲川が紹介すると、アニマルは片手で彼を高々と持ち上げた。これには稲川も「虎のオリに入ったことも、ヘビといっしょに風呂に入ったこともあったけど、こんなに恐怖を感じるとは…」と真っ青に。アニマルはそれを横目に「楽しいネ、最高ネ」と茶目っ気タップリの笑顔を浮かべていたそうな。

なお、アニマルの番組での役割は様子を見ながら本人とたけしらが話し合っていくとのこと

『サンケイスポーツ』昭和62年(1987年)11月21日(土)付 7版 17面

サテライト 亜仁丸

たけし城にレギュラー入りした元阪急のストッパー・亜仁丸が20日、TBS緑山スタジオの収録に初登板。この日は「ザ・ロンゲストヤード」の約10kgのウレタン製フットボールスーツに身を固め、「ウォーッ!」と雄たけび。「テレビを見るのとは違ってエキサイティングだね」とゴキゲンな様子の写真が掲載されている。

既報の情報通り、12月18日放送分から登場する