図書室「書籍」

『コサキン小堺一機、関根勤のら゛』

TBSラジオ「スーパーギャング」編 三才ブックス 1987年刊

当時TBSラジオで放送されていた番組『スーパーギャング コサキン無理矢理100%』の番組本。たけし城を使って撮影が行われた企画『コサキン仮面』のシナリオが収録されている

『ダンカン笑いの世界』

ダンカン著 太田出版 1989年刊

たけし軍団のダンカンが構成作家として携わった番組の台本や企画書をまとめたもの。日本テレビ系『天才・たけしの元気が出るテレビ』のネタやTBS『総天然色バラエティ北野テレビ』などのコント台本が掲載され、たけし城ゲーム企画案も一部収録。

似たようなものは出さないという制約の中、毎週約3企画、年間で150企画提出していたそうだ。企画書にはゲームタイトルとダンカン直筆のイラスト、ルールと見どころなどが書かれている。また攻撃隊長や戦場レポーターの人選はたけしが提案していた秘話も明かされた。たけしが「谷さんがいいなぁ」と言ったら、桂邦彦プロデューサーが「オレ知ってるよ、じゃあ連絡するから。谷啓だろ」と答えてみんながコケたとか…。

30種類の企画が掲載されているが、ほぼボツネタ。唯一、「熱つ熱つカップル大会 ベッドでベットリ!!」だけは第36回「あつあつカップル大会」で本採用されている(ただし、ルールは変更)。「コリント救済ゲーム 傷だらけのローラー!!」は本採用となった同名ゲームとは全く別物。

【収録されているゲーム案】

『稲川淳二のここがコワインですよ』

稲川淳二著 朝日ソノラマ 1990年11月刊

朝日ソノラマ社から刊行されていたホラー漫画誌『月刊ハロウィン』の同名連載コラムをまとめた単行本。第25怪「たけし城」で怪現象!?(画:杉山●子 ●=しめすへんに右)で、1987年早春のたけし城収録時に起きたアクシデントを取り上げている。

「まわってコマネチ」の鉄のワイヤーが切れて、2トンある平均台が崩れ落ちたという。ディレクターの話では直前まで真下でスタッフが点検作業をしていて、間一髪難を逃れたという。再度ワイヤーをつなぎ直し、念のため回転させたところまたも落下。現場は騒然となり、さすがに験が悪いということでこのゲームは中止となった。

もともと緑山スタジオ周辺はウワサのあるところで、実際殺人事件や死亡事故がよく起こる所だったという(スタジオそばにある緑山峠はバイクによる事故が多発し現在廃道となっていて、心霊スポットとしても有名)。

稲川は収録当日、セットの辺りから嫌な気を感じていたそうで稲川式厄払いをしていた。そのおかげかケガ人は出なかったが、あと一歩間違えれば大事故につながっていた…。

作品の初出は『月刊ハロウィン(1987年8月号増刊)夏の増刊号 ほんとにあった怖い話 芸能界編』。1993年にはハロウィン・セレクト文庫として文庫化されている

『つけっぱなしTV』

ラサール石井、やく・みつる著 ぶんか社 1995年刊

雑誌『TVステーション』の連載コラムをまとめた物。

たけし城の面白さは存在そのものが"しょうがない奴"たちが、ひたすら一般人をいじめ抜く点であると分析。たけし城を「"しょうがない奴"たちの梁山泊」と評した

『TBS50年史』

東京放送 2002年1月刊

TBS設立50周年を記念して発行された社史。緑山スタジオとたけし城についての記載がある。

緑山は「古老によれば、この辺りは「越すに越されぬ緑山」と呼ばれる辺鄙な土地だった」。スタジオ完成とともに周辺道路が整備され、地域の住宅開発も進んだという。TBS本社を緑山に移転する構想もあったがさすがに都心から遠すぎたため、ドラマを中心とした収録(パッケージ番組)は緑山スタジオ、報道を中心とした生・情報番組は赤坂の本社社屋、と分担する方向を目指すこととなった。

同書の中で、たけし城は「TBSの制作・技術・美術スタッフの苦労が実り、久々のアクションバラエティーの傑作となった」と評価されている

『テレビアートのすべて テレビ放送50年』

日本テレビ美術家協会・編 KKベストセラーズ 2002年7月1日刊

テレビの美術セット、CGなどをまとめたもの。

この中にたけしへのインタビューがあり、たけし城やひょうきん族の美術について語っている。

また、たけし城開始前の打ち合わせ内容から描かれたイメージイラストも掲載。「第一砦」や「竜神池」、「ジブラルタル海峡」「人喰い穴」といった放送開始から登場している関門の他、「これは玉RUN」「まわってコマネチ」なども描かれている。

この他、美術デザイン担当の橘野永氏によるコメントも掲載

『本人本01 ビートたけしのオールナイトニッポン傑作選!』

太田出版 2008年1月29日刊

ニッポン放送の深夜ラジオ放送『ビートたけしのオールナイトニッポン』の書き起こしをまとめた本。水道橋博士へのインタビューでたけし城の出演経緯について少しだけ言及している。

当時、弟子志願のためにあらゆる場所へ行ってたけしを待ち伏せし続け、7カ月目にしてようやく弟子として採用。たけし城に出場者として出る権利を得たそうで、相方の玉袋筋太郎含む弟子志願者10人くらいが採用されたという。

ただしその日以来7年間、軍団やたけしに話しかけられることもなかったそうである

『宇宙へ「出張」してきます 古川聡のISS167日』

古川聡、毎日新聞科学環境部・林公代著 毎日新聞社 2012年6月15日発行

東京大学医学部宇宙飛行士の古川聡さん。実は彼、第21回「第1回都道府県選抜全国大会」(1986年10月31日放送)の神奈川代表として出場しているのだ。

東大を卒業するころ、仲間の一人がたけし城に応募して当選。中高(鎌倉市の栄光学園)で野球部仲間だった同級生と一緒に神奈川代表として出場したそうだ。野球で鍛えた肉体と運動神経に不足なし。だが野球部出身でありながら、番組では弟から借りた赤いサッカーユニフォームを着用。

最初の難関(国境の坂)で同級生が脱落。古川さんは次々と難関をパスし「竜神池」に進出。ところが最後の最後で石を踏み外して転落した。

敗者インタビューではクイズ(ダジャレ)を披露。

「戦後日本に駐留したGHQの最高司令官は?」
「マッカーサーですか」
「それでは、好きな色は? と僕に聞いて下さい」
「好きな色は?」
「真っ赤さ(マッカーサー)!」

このギャグはたけしを笑わせ、全国放映。このユーモアセンスと自己アピール力も宇宙飛行士として重要な資質なんだとか!?

第21回

『テレビ番組海外展開60年史 文化交流とコンテンツビジネスの狭間で』

大場吾郎著 人文書院 2017年6月20日刊

日本のテレビ番組がどのように海外に輸出されていったかを、膨大な資料を基に紐解いていったもの。

たけし城の場合は放送したVTRを売るだけでなく、「フォーマット販売」という形で海外の番組制作者と契約書を交わして売買する手法がとられた。番組の構成や演出方法やセットなど番組制作のノウハウをまとめて知的財産として販売、それらの項目を細かく規定した「バイブル」を作成。これを基に購入した国では現地のタレントや有名人を使った番組を制作することができる。

また、TBSのディレクターを派遣して指導にも当たらせたという。購入した側は自国製の番組を作れる一方、売る側としては番組の剽窃を防ぎ模倣番組の抑制につながるほか、煩雑な権利処理も必要がないという双方にWin-Winなメリットが生まれる。フォーマットを利用した番組が制作・放送され続ける限り、TBSに放送1回分の制作費のうち5~15%のライセンス料が入る。さらに、バイブルの作成以外にコストはほとんどかからないので、複数国に売れば2カ国目からは売り上げがほぼそのまま利益になることも大きいという。

なお、韓国のKBS2に番組がパクられた時は、TBSがアメリカのエージェントを通じて抗議したと伝えられている

『ダンカンの企画書』

ダンカン著 スモール出版 2021年8月30日刊

『ダンカン笑いの世界』の増補版といった内容で、コント台本や企画書だけでなく、メモやノート、関係者のインタビューまで収録されている。たけし城に割かれているページ数は少ないが、前著には掲載されていないゲーム企画案が収録されている。

【収録されているゲーム案】